了見と子供

 人には大なり小なり、もう二度と見たくない光景や物事があるものだ。
 しかし、それが己の行動理念に関わるものであるならば、強く記憶に焼き付けておかなければならない。それが贖罪であるなら尚更だ。それは寝ても覚めても己を苛む。無かった事にしてはいけないのだ。

 いけないのだけど。忘れた事など無いのだけど。

 齢六年の少年二人が、きらきらと光を弾く大きな瞳を笑みで細めている。きゃらきゃらという笑い声は、普段耳にしている、変声期を終えたものとは違う。そして彼らの小さな手には、大事そうに扱われているカードがある。平素、攻撃や何かを成す為の手段であるカードが、日々を彩る大好きなおもちゃのように二人の間を行き来する。
 辛い。この光溢れる状況が。きっつい。事件が無ければこうやって過ごせていたのに、と言う光景を見せられているから。
 胃の中のものも体の水分も全て吐き出しぐらぐらする頭を抱え、ぐったりとソファに身を預ける鴻上了見の目の前には、ロスト事件に巻き込まれる前の藤木遊作と穂村尊が、この世すべてに祝福されたように笑い合っている。
 なんでか分からん非ィ科学的な何かが起こって、二人は六歳児になった。そんな可愛いオリジンをイグニス達は了見に押しつけ「俺たち原因探ってくるから、面倒見てて」とスタコラどこかへ行ってしまったのだ。了見は、これは信頼されているのではなく、当て付けられているのだと瞬時に理解したし、実際その通りであった。あの事件から今日まで生きてきて、ここまで、嘔吐するほど己の罪を知らしめられたのは初めてだ。
「ねえ、このカードすごく強いと思わない?」
 幼い尊が幼い遊作にカードを差し出す。遊作は「そうだねぇ」と受け入れながらも、ふふ、と笑った。
「君がいいって言うカード、全部炎属性だね」
 今まで彼が見せてきたカードを覚えていたらしい遊作の言葉に「そ、そうだっけ?」と尊は身を縮ませた。自分でも知らない癖を他人に告げられて恥ずかしがっているのか、健康的な肌を桃色に染めている。
「そうだよ。攻撃力だけじゃなくて、特殊な効果を使うのが好きなんだね。かっこいいよ」
 幼い遊作の嘘偽りの無い賞賛に、幼い尊は「ええ〜そんな事ないけど〜」と、恥ずかしいながらも満更でもない、と言う六歳では表現し切れない感情を、左右に身体を揺らす事によって発散している。
 かわいい。とてもかわいい。二人とも歳の割には賢く、潤沢なコミュニケーション能力を持っている。あのまま成長したならば、他人との断絶を感じて生きる事も、己の中のフラストレーションをどこにも所属しないと言う行動で晴らす事もしないだろう。きっと多くの友人を作り、笑いに絶えない日々を送り、何不自由なく社会に適応してーーーと考えた辺りで、了見の喉を、胸から迫り上がったものが焼く感覚が走る。
 ばっと口元を掌で押さえた了見を天使の子が見上げた。
「お兄さん、大丈夫? さっきから調子悪そうだね。何か持ってくる?」
 と、家族が熱を出したようにお使いを申し出るのは幼い尊だ。
「お兄さん、お熱計った? 風邪だったら大変だよ。ねえ、横になって。そっちの方が楽だよ」
 幼いながらも的確な判断を下すのは遊作。
 ああ、ああ。二人とも。なんて愛らしく優しく聡明で。きっときっと、このまま十六歳になった君達はネット上の虚空の英雄ではなく、彼らだからこそ愛されて、ああ、この社会の未来を、未来を、きっと、きっとーーーといった所で、鴻上了見に限界が訪れた。
 口許を覆っていた手を腰に置き、厚く整った胸を張る。
「いや、私は大丈夫だ。気にしないでくれ。用を足してくる。ああ、そこの冷蔵庫にジュースもアイスもあるから、好きに食べてくれ」
 すん、と立ち上がった姿に、少しの間沈黙した幼い二人はお互いを見合った後、「わかった!」とにこり笑った。
きっと、彼の言うことを素直に聞く事が一番彼の負担にならないと考えての事だろう。
 ああ、なんてーーーと言う感情に飲まれそうな了見はひらりと片手を振って、廊下に出た。そのまま徐々に大股になり、足早になってトイレの扉を勢い良く開けて便器の蓋を乱暴に上げる。

 鴻上了見、本日、二度目の嘔吐である。

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