何者かの再来

 夜の浜辺を走っている。
 満点の星空の下、砂に足を取られそうになりながらも走っている。
 二度目だ。人生で二度目の経験。夜の浜辺を走るのも、九メートルのロボと追いかけっこするのも。
 ちらりと背後を見ると、赤いスーパーロボットが俺のペースに合わせて走っている。
 真顔で。「これの何が楽しいのだろう」と言いたげな顔で。きっと、俺も同じような顔をしているだろう。
 こんな事、もう二度とないと思っていた。そもそももうブレイバーンとは二度と会えないんだろうと思っていたのに、人生はロボットアニメより奇なりだ。

 デスドライヴスとの戦いが終わり、表彰やら世界一周旅行やら様々な事を経て、俺達はそれぞれの日常に戻った。
 そんなある日の夜、スミスが俺の目の前に現れた。週末の夜、自宅に帰る最中だ。
 人気のない通りの、街灯のそばに立っている。妙に光を帯びている緑色の瞳を、俺を見つけるなりにっこりと細めた。
 スミスは現在、軍から抜けて放浪の旅をしている。たまたま日本に寄って来たのだろうか。連絡を取り合う仲ではあるが、実際に会うのは久々だ。
 しかしどこか違和感がある。旅の途中のはずなのに着の身着のまま日本にいることもそうだが、もっと根本的な、本質的なものが彼と違うと感じた。
 それでも、俺はスミスに近付いた。
「実際に会うのは久々だな。来るなら連絡をしてくれたらよかったのに」
 スミスは笑みで細めていた目を伏せる。そしてすぐにカッと見開かれたそれが、エメラルド一色に輝いた。
 強い光に、片手で視界を覆う。
 何が起こっている!?
 目を焼かれそうな程の光源に、なんとかピントを合わせた。
 すると、もはや影のようにしか認識できないスミスの身体が、大きくなっていった。ぐんぐんと、昔テレビで観た巨人ヒーローのように。
 その最中に肩が張り出し、額には角が現れる。背に畳んだ翼のようなものが生えて、シルエットが鎧のように鋭利になっていく。
 待ってくれ、待ってくれ、これは、これは、お前は───!
「ブレイバーン……!?」
 人間のはずのスミスが、すっかり巨大なスーパーロボットに姿を変えた。

 それから、あれよあれよと二つの意味で乗せられて、しばし地球を見て帰ってきた。
 何を言っているのかと聞かれても、そうとしか答えられない。そういえば、こいつは人の話を聞かない奴だった。
 暗い宇宙の最中に、青い地球が悠然とそこにある。太陽光が当たっている場所は輝き、そうでない場所は影を落としている。
 ネットやテレビでしか観られないような風景を眺めながら、俺達は久々に話をした。
 確信部分には触れられないが、「元気だったか」「なんだか、あの戦いが昨日みたいにも、遠い昔のようにも思える」と漏らした言葉には、ゆっくりと丁寧に、ひとつも聞き逃さずに「元気だったとも」「私も、あの時君と共に戦えたことを、刹那のようにも一生のことのようにも思える」返してくれる。
「会えてよかったよ」と言うと「私も君に会いたかった」としみじみと返してくる。相変わらずだなあこいつは。そういえば、スミスは何かにつけて「イサミに会いたい」と言っていた。ついにこんな形で望みを叶えてしまったんだろう。
 ほんの少しの宇宙旅行だったが、地上に戻る頃には夜が明けそうだった。
 ブレイバーンは「また君に会いに来る」と背を向けて、明るくなった地平線へと飛んでいった。
 せっかくスミスが会いに来てくれたんだ。いつもスミスが連絡をくれていたけど、今回は俺から連絡をしよう。
 昼頃に起きて、身支度をしてスミスに連絡をする。ビデオ通話で発信すると、五コール目で繋がった。
「イサミ! 嬉しいよ君から連絡をくれるなんて」
 スミスは嬉しそうにしながらも、忙しなく前髪をいじっている。髪のセットを気にしているようだ。
 そんなスミスを微笑ましく眺める。
「昨日は楽しかった。久々に会えて良かったよ。お前にも、ブレイバーンにも」
 途端に、スミスから笑顔が消えた。「……そういう夢を見たのか?」と低い声がスピーカー越しに聞こえる。
「いや、夢じゃねえよ。お前なに聞いてもはぐらかしてさ。それで何を思ったか宇宙まで上って、地球を見ただろ」
 スミスが俺から視線を外した。苦いものを噛んだかのように暗い表情。
 ……俺はなにか変なことでも言っているのだろうか。もしかしてあれは本当に夢だったのだろうか。
 いや、そんなはずはない。ブレイバーンのコクピットで握った操縦桿も、上昇や降下の時に感じた内蔵が揉まれるような感覚も現実のものだった。それにあのあと俺は、自分の足で自宅に戻ってそれから眠りに就き、先程起きたのだから。
 スミスの瞳が俺へと戻る。緑色の瞳。ブレイバーンと同じ色。
 それを一度伏せて、すぐに瞼を上げた。
 強い光を放つことはなく、沈痛な面持ちでいる。
「……イサミ、俺はあのあと、どんなに強く望んでも、ブレイバーンにはなれないんだ」
 ───君の前に現れたブレイバーンは、本当に俺か?

 波の音がする。
 ざざん、ざざん、と繰り返すそれに、ざっ、ざっと砂を蹴る音が混ざっている。
 柔く、不安定な足場を走るのは普段より疲労が溜まる。いつまで続ける気なんだろうか、そろそろやめていいだろうか───走るスピードを緩めそうになった時、背後からバシュッとジェット噴射に似た音が聞こえた。
 なんだと振り返ると、視界いっぱいに赤い巨体のハンサムフェイスが迫っていた。
「きっと車かなにかに轢かれる直前はこんな風なんだろうな」と悠長に考えるくらいには、あまりの危機感に頭が回転する。
 ズシャア、と土煙が上がる。
 思わず伏せた俺の身体を覆うように、ブレイバーンは両手と両膝をついて覗き込むように俺を見下ろしていた。
 ブレイバーン越しに見える星空が狭い。こいつがでかすぎるからだ。
「お前、あぶねーだろ! なんだよ急に!」
「最後はこうやって捕まえるものなんだろう?」
「そうだけど! いや、そうなのか……?」
 確かにオペレーション・ボーンファイアの時はそんな風にしていが、だからと言ってこれがそういうものかと聞かれたら「どうだろう?」としか答えられない。
 ふむ、と唸ったブレイバーンに、呼吸が乱れているのもあって深めの溜め息が出た。
「オペレーション・ボーンファイアをしないか」と言われて連れて来られた海(どこだここは)で、ハワイでやった事をなぞるように過ごしている。
 ルルとスペルビアはいないので食事などはしていないが、焚き火を眺めながらぽつぽと話をしたり、今のように浜辺を走ったりしているのだが、どうにもブレイバーンの反応が芳しくない。ハワイの時は心底楽しそうにしていたのだが、今回は「こんなもんか……」くらいのものである。
 そう、「楽しかったからもう一度やろう」ではない。「やってみたいからやろう」そしてやった後に「こんなもんか」と納得しているように見える。
 そうだとしたから、こいつは本当にスミスでは無い?
「なあ、スミス」
「私はブレイバーンだ」
「スミスじゃないのか?」
「ああ、私はブレイバーンだ」
 ずっとこの調子だ。
 焚き火の時も何度かしたやりとり。「私はブレイバーンだ」ばかり言って、スミスなのかそうじゃないのかは断言しない。
 スミスは「記憶がない、俺はもうブレイバーンになれない」と項垂れていたが、彼の意識が眠っているだけで、このブレイバーンはスミス本人かもしれない。最初に現れた時はスミスの姿だったのだから、その可能性は高い。
 だが、そうだとしたら何故同じことをやろうとするのだろう。まるで、「お前だけずるい。私もやりたい」とばかりに。
「こんなことして楽しいのか、ブレイバーン」
 ブレイバーンは、うん……、と空を見るがすぐにこちらを見下ろし、「追いかけるのそうでもないが、今は君が近くにいるから嬉しい」と更に顔を近付ける。
 ひぇ、と思わず視線を逸らした。
 そういえばあの時は「大好きだー!」とか言って突っ込んできて、今と同じような体勢になったな。
 このブレイバーンも俺のことが大好きなんだろうか。いや、そもそもブレイバーンはスミスなんだから、スミスが俺のこと好きってことなのか?
 ……考えるのはやめよう。実のところ、この事に関してはお互いに触れないようにしている。
「イサミ、どうかしたか? ああ、砂が熱いのか? 夜とは言えまだ気温は高いからな」
「いや、そういう訳じゃねえけど……」と何故かもごもごと小声になってしまった。
 そうか、とまっすぐなブレイバーンの声に、波の音が被る。そのまましばし、さらさらと風に飛ばされる砂の音だけが聞こえる。
 視線をブレイバーンに戻すと、相変わらずじっと俺を見下ろしていた。少し顔が近くなっている気がする。
「お前は何者なんだ」
「私はブレイバーン。世界の平和と人類と、イサミを守る君の愛機だ」
「スミス?」
「私はブレイバーンだ」
 またこの問答だ。埒が明かない。だが、もう一歩踏み込む。
「スミスじゃないブレイバーンなのか?」
 波の音と、風に流される砂の音だけが届く。ブレイバーンは沈黙している。
 スミスじゃないブレイバーンがいたとして、それは一体なんなんだ? こいつはどういう存在なんだろうか。
 戦いの後に明かされた真実は、驚愕するものだった。スミスは一度死に、ロボットになって甦った。それがブレイバーンのはずだ。
 それ以外のブレイバーン。スミス本人を媒体にしているのか、それともスミスの姿すら模倣しているだけにすぎない、完全なる別存在なのか。
 美しく整った顔を見つめる。ブレイバーンも俺を見つめ続けている。
 俺が言ったことが事実だとして、「バレてしまったなら仕方がない!」などと襲ってくることもなく、ただ沈黙している。
「お前はブレイバーン?」
「……私はブレイバーンだ。本当に」
 この言葉を皮切りに、ブレイバーンは更に俺に顔を寄せた。あと十センチほどで鼻先が触れそうな距離だ。
「君と愛と勇気で繋がっている、ブレイバーンだ。それだけは変わらない。イサミ、君を今すぐこの胸に抱きたい気持ちが、偽りであったことなどない」
 頭の横にあるブレイバーンの手が、砂を握り締める。隆起した砂が耳元に届きそうだ。
「ああ、早く君と一つになりたい。そうだ、私に乗って深海へ行こうか? 海は二度目だからつまらないかな。だがあの時のように戦っている訳じゃないから、ゆっくり遊泳出来るぞ」
「ブレイバ」
「そうだ、また地球を見に行こうか? 君の時間が許すなら、ぐるりと大気圏外を一周しよう。それとも月に行こうか。長期休暇が必要かもしれないが」
「ブレイ」
「ああ、どうしたら君の憂鬱を払えるのだろう。君が思い悩む所など見たくは───いやちょっとだけ、ちょっとだけは見ていたいが、すっと芯の通った真摯な眼差しの君の方が好きだ。どうしたら……、どうしたら……イサミィイーーーーーー!!!」
「うるせぇーーー〜〜!!!!
 ついに喚き始めたブレイバーンに負けず劣らずの声量で叫ぶと、「そんな! イサミそんな!」と更に騒いだものだから、やたらに近い顔をべちべちと叩く。
 本格的に諌められていると察したブレイバーンは、うぐうと下唇を噛むようにしてやっと大人しくなった。
 まったく、こいつと来たらいつも自分の言いたい事を言い続けて、俺の話を聞かない時がある。こいつはそんな奴だった。そんな奴がずっと大人しく塩らしくしていたものだから、俺はほんの少しだけ違和感を持っていたんだ。
 だがこいつは相変わらず急に雄叫びを上げるし、わけわかんねえし、ああ、こいつはブレイバーンなんだ。そう思った瞬間、胸がじんわりと暖かくなった。
 あの時感じた不愉快さもそこそこに、それを覆さんばかりの懐かしさだ。
「……お前はブレイバーンだな?」
「……ああ、私はブレイバーンだ」
「スミスとの繋がりは?」
 ブレイバーンは沈黙する。
 どうやら、ここには触れて欲しくないらしい───だが、まあいいか。こいつはブレイバーンなんだから。
「……久しぶりだな、ブレイバーン」
「ああ、久しぶりだな、イサミ。君に会いたかった」
 お互いに、ふふ、と控えめに笑う。
 再び、波の音と風と砂の音が俺たちを包む。それでも、気まずさのようなものは無かった。
 ただ、どこかも知れない夜の浜辺に俺とブレイバーンがいる。その事実だけがあれば、他の何も必要無かった。
 夏の盛り。だが日本とは気候が違うようだ。自然に恵まれてビルの光など無い空は、無数の星が輝いている。それも、ブレイバーンの巨体に視界を遮られてあまり見られないのだけど、まあそんなもんだろう。ハワイでもそうだった。
 そう、だったな───と反芻した時、ただでさえ近い位置にあったブレイバーンの顔が更に近づく。鼻先五センチ程の距離だ。
「イサミ、続きをしたい。いいだろうか」
 言われて、ああ、と思い出した。そう言えば、「大好きだー!」と迫られた後、ルルが呼びに来たからそこで終わった行為がある。
「ああ。そうだな、いいぜ。やれよ」
 ───きっとこれも「ああこんなもんだ」で終わるんだ。
 俺の唇に、ブレイバーンの大きな唇が触れる───だが、本当にそれだけだった。
 お互いの身体的対比が違いすぎるのだ。これによって生まれる感情は官能も、ときめきも無い、「ああ唇に何か当たったな」くらいなものだ。
 ほら、「こんなもの」だったろう? ブレイバーンもきっと、つまらなそうな真顔で───と思って見上げたそいつのエメラルドの瞳が、細まっている。
「イサミ……」
 かぱり、とブレイバーンの口が大きく開く。グレーカラーの肉厚な舌が、ぞろりと這い出てきた。
「ひえ…」と声を発したが遅い。ブレイバーンは人の話を聞かない。
 興奮すると俺の言葉など聞かないブレイバーンは、大きく開いた唇で、俺を───

「俺が泊まっているホテルの監視カメラを確認させてもらったら、確かに俺の記憶に無い時間帯に外に出ているのが確認できた」
 今日はヘアメイクが完璧であるのか、一切そのブロンドに触れないスミスが、ビデオ通話の画面内で唸っている。
「ホテルの外に出た途端、なんだろうか。ジャミングが起きたのかな。俺の姿が消えていたんだ」
「そうか」
 つまりあのブレイバーンは、スミスとの関連性はどうあれ、スミスを媒体にしているのか?
 スミスが映るタブレットを前に、ふうと息を吐く。
 まったくあいつと来たら本当に訳が分からない。
 あの戦時下でも、それが終わった後も同じだ。そんなあいつがスミスだったから溜飲を下したのもあったのに、俺の前に現れたあのブレイバーンは、スミスと関連があるかどうかも怪しいわけだ。
 しばし物思いに耽っていると、通話画面のスミスは「イサミは…。もう一回会ったんだな? 何があった?」と緑の瞳で俺を見る。
「うん……。お前とやった事を繰り返しただけだよ。焚き火を囲んで少し話をして、浜辺で追いかけっこしてさ……」
 そこで、口を閉ざす。あの行為がハワイでの焼き増しであったなら、これだけでスミスには通じるはずだ。
 だが、スミスはそれだけじゃないだろ? と言いたげに俺を見つめている。
「……それから?」
 ───それから…?
 この質問に対して、「いや、それからも何も。特に何も無かったよ」と言えばいい。それが一番簡単で、後腐れがなくて、平穏に終われる選択肢であるのに。
 俺はどうにも融通が効かないらしい。
 少し「あの〜…あれだ、対した事じゃないんだけど……」と己に言い聞かせながら、告げる。
「あのブレイバーンとキスした後、なんか身体全体舐められて……、俺……」
 と告白している最中、砲撃弾もかくやと言う台パンの音が、デバイスのスピーカーからヒビ割れて聞こえてきたのだった。

 

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